天才の属する所 2




 ボールはラインを少し過ぎたところで止まった。コートを囲むテニス部員が、弾けたように喚声を上げた。大会でもなんでもない、ただのレギュラー同士の力試しだったのだ。

 跡部は、ネットの向こうの忍足を睨みつけていた。天才と言われている男だ。恵まれた才能に負けず嫌いなところ、持ち前の体格で強豪ぞろいの氷帝テニス部内でもトップクラスの実力を持っている。しかし彼はダブルスを専門とし、今日、跡部と試合をしたのはおそらくほんの気紛れからだったのだ。めったに見ることのできない忍足のシングルスに、いつの間にかギャラリーができていた。

 手の中のグリップを強く握りなおし、跡部はただ視線に殺意を込める。天才は視線に気付くとニッと笑い、シャツの胸元で汗を拭った。
 跡部はこの男を殴り倒したかった。握手を交わすこの手を今すぐ拳に変えて、その憎らしい顔にめり込ませてやりたいのだ。

 ゲームは6−2、跡部の快勝に終った。


「お疲れ!残念だったな」

 向日が忍足に声をかけた。跡部は樺地からタオルを受け取り、怒り覚めやらぬまま汗を拭った。忍足にも、さっきの試合を本当の実力だと思っているやつらにも。

「まぁな、やっぱ跡部強いわ」

 忍足がそう言い、跡部の目の前は真っ赤に染まった。無言で歩み寄り跡部の表情に顔を強張らせる向日を横目に、力任せに忍足を殴った。自分より少し身長が高い、狙いを定めて体を捻るように放つ。当たると鈍い音がして、頬骨と歯の硬い感触が伝わった。手に痛みが残っていたが、倒れ込んだ忍足を見ると少し胸が晴れた。

「来週青学に行く。お前も来い」

 去って行った跡部には目もくれず、口をもごもごと動かした。さびた味がして、手のひらに吐き出すと案の定赤く染まった。その色を見てなぜかおかしくなった。跡部は、忍足が自分に負けたことを怒っているのだ。



 青学のテニスコートには人だかりができていた。どうやら跡部がランキング戦の日を狙って計画したらしい。
 自ら参加を希望したわけでもない忍足は、暇そうに欠伸をひとつかみ殺した。連れて来られた理由を聞きたかったが、今跡部に聞くともう一度殴られそうな気がした。以前殴られた理由を忍足ははっきりと自覚していたのだ。

「そやからってなぁ…」

だからといって何をすればいいのかなど、見当もつかなかった。数メートル離れた位置でコートを真剣に見つめる跡部からは、珍しく部長らしい雰囲気が漂っていた。雰囲気だけで、なんの指示があるわけでもなかったが。
 今日来た目的は偵察だ。だがそれはあくまでも跡部の目的であって、忍足の目的でも義務でもなかった。しかし忍足はそれに習うしかすることがなく、コートの周りをぶらぶらするしかなかった。

 半周ほどしたところでコートに手塚国光が立った。顔を見たのは初めてで、確かに強そうだというのが感想だった。オーラが違う。なにか常人とは違った独特の空気をまとっていて、なるほど、これで普通の人だったらそっちのほうがおかしいくらいだ。
 手塚国光自身にたいした興味はなかった。相手もけっしてうまいといえる選手ではなく、忍足はまた足を進めた。

 そうやって一周して元の場所に戻ると、跡部が青学のレギュラージャージと話をしていた。知り合いがいたのかと少しビックリしたが、べつに大したことではないとも思った。

 何も思わなかったのかもしれない。喜びや怒り、興味、執着といったものが忍足は少なかった。試合で負けても悔しくはない、罵られても怒りは湧かない。全てがどうでもいいことのように思えるのだ。そんなものに執着する輩を不思議にすら感じる。あるいは、それすらも感じない。

「忍足!」

 跡部が呼んだ。やっとか、と顔を上げると、隣にいた人物がいなくなっていることに気付いた。

「なんや」

「Bコートだ、よく見とけ」

 顎を動かして指し示す先には、さっきの青学レギュラーがいた。



NEXT

BACK