試合が終りしばらくすると、不二は忍足の前に姿を現した。忍足に用があるのではなく跡部の顔を見に来たようだった。
「跡部くんは?」
忍足は不二にそう問われると、直ぐには答えずに間を取った。意図的なものでもあったし、取らずにはいられないものでもあった。不二周助は近くで見るともっと小さかった。身長はもとより、体の作り自体が小柄だった。
それよりも忍足が言葉を失ったのが、まとった雰囲気だった。やわらかく包み込むような、それなのに決して親しみは湧かない。矛盾した空気。
「…どうしたの?」
不二が怪訝そうに眉を寄せる。忍足は慌てて答えた。
「ああ、跡部な。帰ったで」
「そうなんだ」
不二は小さくため息を吐いた。そのまま去っていくのかと思ったが、意に反して彼は隣りに留まったままだった。
青学のレギュラーと、ライバル校である氷帝のテニス部員が並んでいるのは妙な絵柄だったと思う。ちくちくとした視線を感じながら二人は行なわれている試合に目を向けていた。おそらく、視線を感じているのは忍足だけだった。
隣りに並んでいるのに、険悪な雰囲気も何も感じないのに、押されているような気がする。圧力に似ているけど、まったく違ったもののような。抱き締められているのに強すぎて息苦しい、そんな感じだった。ふと、彼に恐怖が湧いた。
それなのに同じように興味もどんどん湧いてくる。彼はなぜ隣りに留まったのだろう。彼はなぜそんな空気をまとっているのだろう。彼はなぜ他人を拒絶しながらも、受け入れようとしているのだろうか。
「なぁ、自分跡部と知り合いなんや」
不二はコートからこちらに視線を向けた。試合にはあまり関心が行ってないようだった。
「え、跡部君と? うん、まぁ」
「どうやって知り合ったん?」
「昔同じテニススクールにいて、そこでね」
「へぇ…」
跡部がテニススクールに通っていたとは、少し意外だった。あの男は部活中でも偉そうに突っ立っているだけで、練習などしなくても才能で補えるというような傲慢な雰囲気だった。向日はその態度が気に入らなかったようだが、努力よりも才能が勝るということが己で実証されていた忍足は、大して不満も湧かなかった。
その彼がテニススクールに通っていたというのだ。流石の跡部もラケットを持って生まれたわけではないのだから、なにかしらテニスと出会う発端があってもおかしくはない。ただ、彼も誰かに教わっていたのだという事実が妙におかしかった。
忍足がテニスをはじめたのは中学に上がってからだ。
小学校低学年のときに両親が離婚し、父方に引取られた。大企業のエリートである父は、侑士を家政婦に預けたまま各所を転々としていた。大阪にある家に帰ってくることは稀だった。
家政婦の女性は仕事をこなせる人であったが、あくまで仕事は家事のみと侑士にはある程度の愛情を持ってしか接しなかった。
その境遇を友人に話すと大抵は「かわいそう」とか「寂しくない?」と聞かれる。しかし侑士にとってそれはごく当り前の日常だった。周りには誰もいない。親の愛情を知らない。嬉しいとか寂しい、そういった感情を教えてくれる人がいなかった。
中学に上がるころ父が本社で重役に就き、転勤は当分無いだろうと東京に居を移した。父の帰宅頻度は多少は改善されたが、侑士は氷帝の寮に入ったのでさらに顔を合わせることがなくなった。
テニス部に入ろうと決めたのは同室の生徒のしつこい勧誘と、いかに自分が素晴らしいプレイヤーであるかを自慢してきたその鼻をへし折ってやろうと思ったからだ。今その生徒はいちおう準レギュラーをやっている。
思わぬところで才能が開花したと、忍足は運が良かった程度にしか考えていない。そして当初の目的などはとうに忘れ去られていた。
「ねぇ…」
不二周助の声にはっと視線を向けると
「試合、今日の分は終ったけど」
他の偵察隊もそれぞれ撤退の準備をしていた。
「あーそうなん?」
行きに送ってくれた跡部は帰ってしまったので、どうやって帰ろうかと考えた。たしか財布は持っていたはずだから、金さえあればどんな手段も取れる。
不二周助の視線は忍足に固定されたままだった。じっと見つめる目には何の色もない。
その視線に気付き、忍足は思考を止めた。何の感情も読み取れない、ただ心に強く圧力をかけてくるのだ。ドッと心臓がはねた。
「…あ、ランキング戦ていつまでやっとんの?」
「今週いっぱいはそうだったはずだよ」
「ほんま、ありがとう。ほんじゃぁ帰るわ」
機会があったらまた、と忍足は背を向けた。そういえば自己紹介も何もしていないのだと気付いたが、どうでもいいことだと思いそのまま歩いた。
後ろから不二周助がはっきりと聞こえるように、少し大きめの声で言った。
「またね、氷帝の天才くん」
忍足は振り返った。跡部の手回しがここまで効いてると、少し憎らしくなる。不二周助が笑顔で手を振っていたが、それには苦笑いで返した。
その日以降、忍足が青学に行くことはなかった。
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